2020年3月29日日曜日

ライブの中止・延期のお知らせと、現状に対する考えを書きました

せこいので、もっと後出しのほうが正しそうなこと書けるかなと思ったけど、今色々と腹が立ってるから今書くことにしました。
放置していたブログをこんなことのために使うことになるとは...

中国もヨーロッパも大変なことになりましたが、自分が何度も訪れたニューヨークがあんな状態になってしまっているということにショックを受けています。
不条理というのでしょうか、人間も突然死ぬときは突然死ぬのだということを遠巻きながらだんだんと実感しています。
実家にもいつになくたくさん連絡してしまいます。


【公式に出ているイベント延期について】


4月1日に代官山「晴れたら空に豆まいて」で予定していたイルマ・オスノ・バンドのライブ、延期となりました。
5月25日になる予定です。

4月5日に下北沢ボデギータで予定していたTokyo Bombazoも、延期となりました。

既報のとおりですが、3月1日のAriba! vol.5@中目黒Tryも延期になっています。

現在、東京は人数にかかわらず人の移動・集まりを避けたほうがいいぐらいの状況だと思います。
3週間ぐらいしたら今のニューヨークぐらいになっていてもおかしくないということを念頭に行動するほうがよいのでしょう。
(そうならない要素をピックアップすることもできるのですが、それは結果が出てからでいいと思います。)
なので、こういうことになるのは仕方ないと考えています。
この状況でも来場される予定だった皆さま、たいへん申し訳ありませんがご理解ください。

他にも延期になった/なりそうなライブがあります。
それぞれについて、苦渋のやり取りが続いています。
最新の状況はスケジュールページに随時反映しています。


【ライブを止めるということについて】


現状ライブを中止/延期することはやむを得ないという認識は上記のとおりですが、それは感染拡大のリスクがある=やめる、というだけの単純な話ではありません。
感染リスクについては、素人が定量化することはできませんが、リスクの大小に応じて他の何を犠牲にするのかしないのか、皆さん苦しい判断をされていると思います。

たくさんの関係者が、仕事が飛ぶ、売上が減る、赤字を背負う、そういったことがあるので、仕事だから止められないんだというのは他の商売と同じです。
特にお店は厳しいのではないでしょうか。
ライブハウスも飲食店も、本当に長い歴史のある名店含め、すでに多くの閉店の知らせを目にしています。

それから、うまく説明できないですが、一回きりのライブというものには替えのきかない何かがあるのも大切な事実です。
また今度やればいいというものでもないんです。
これはお金とは関係ありません。これが理由で音楽を続けている人、多いと思います。
(お客さんにはたくさん来てほしいし、お店にも申し訳ないのであまりおおっぴらに書きたくありませんが、ある種のミュージシャンは観客が一人でもゼロでも真剣に演奏します...)

最初に大阪で、またまた都知事の会見でも、ライブハウスだけを名指しで感染の場所として喧伝されたこと、自粛「してほしい」「したほうがいい」活動としてライブイベントがたびたび挙げられること、たくさんの人が怒っているのは、お金の問題でもあり、そしてお金だけの話ではないと思います。

自分も腹が立ってます。

現状でもまだライブを続ける人たち、言葉少ない人も多いです。
批判もあると聞きます。
でも背後にはどれだけの事情と人の思いがあるか、少しでも伝わればと思って書きました。


【その他、文句全般】


ここからは音楽・音楽業界とは関係ない話です。

融資も助成も発表されてきていますが、国にはしっかりとした補償を、早く策定&しっかり周知してほしいです。
これからに期待しますが、「早く策定&しっかり周知」がないがために自粛もできなかったので、すでに現時点で失策です。
文化芸術に対するサポートをという意見も出てますが、
自営業や中小企業へのサポートが欲しいという気持ちと若干混じっているのではないかと思います。

早期に休校だけがいきなり発表されたとき、様々な家庭/非家庭環境の子供の居場所への無関心、もっと言うと未だに「父親が一人で稼いで母親が在宅の家庭」を正規フォーマットとして想定していることが露呈していると感じました。
これは平時から、解雇規制という本丸を、<新卒一括採用>や<長時間残業>や<扶養控除>や<派遣切り>や<追い出し部屋>が取り囲む雇用システムに表れていますし、保育制度にも表れてます。
(アベノミクスの中で、第三の矢の労働市場改革にはかすかな期待を抱いていたのですがダメでした。)

あと昨日の安倍首相の会見を見てても、フリーランサーはさらに蚊帳の外ですね。

少しだけ前向きなことを考えるとすれば。
雇用周りの制度とも関わってきますが、無駄な会議や訪問を減らせるかどうか、リモートワークできるかどうか、紙とハンコをやめれるかどうか、働く時間ではなく結果にコミットできるかどうか、日本の働き方も今回の件で前進できるかもしれません。

国がどうたらという文句は、基本的に重/軽課税と高/低保障の組み合わせ問題、それからその内訳の差配にしか帰結できません。
日本人の経済的&時間的貧困は根本的には労働生産性が上がっていないことから来ていると言われています(他にパイが増える方法はないでしょう)。

(人や企業の自助努力にフォーカスし過ぎている、と言われればそれまでですが、もう待ったなしだと思います。)


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しかし天下国家の話、飲み屋談義ですね...
こんな駄文を長い時間かけて書いてしまった。

頭を切り替えて、ドラマー某氏から借りパクしてる本を見ながら4-wayの練習でもしようと思います。
自作のパッド(素手用)もあるぜ。

2019年9月17日火曜日

2つの新譜、JAZZ KLAXONレコ発ツアー

Septeto Bunga Tropis念願のファーストアルバムがついに出ました。


8/27には渋谷JZ Bratでの発売記念ライブがありました。
たくさんの方にお越しいただき、ほぼ満席となりました。
ありがとうございました。

一方JAZZ KLAXONでは、6年ぶりのセカンドアルバムをリリース。
アルバムについてバンドのブログで書いてます:
http://jazzklaxon.blogspot.com/2019/09/blog-post.html


9/7の渋谷UNDER DEER Loungeでのライブを皮切りに、これからレコ発ツアーです。
  • 9/7(土)渋谷 UNDER DEER Lounge
  • 10/2(水)池袋 Absolute Blue(東京鮮烈sess!on対バン)
  • 10/14(月祝・夕方)府中 JAZZ in FUCHU(無料野外ライブ)
  • 10/27(日)会津若松 太郎焼総本舗
  • 11/5(火)池袋 詳細後日
  • 11/30(土・午後)京都 JEUGIA三条本店(無料インストアライブ)
  • 11/30(土・夜)茨木 JK
詳細はスケジュールページを見てみてください。

関西での演奏は超久しぶりなのでとても楽しみです!!!
関西でこのブログを見てる方がいたら、ぜひぜひよろしくお願いします!


 
CDはいずれも、京都三条のJEUGIA本店、御茶ノ水のディスクユニオンJazzTokyoなどの店頭で購入可能です。
その他、大きめのタワーレコードなどに在庫があったりなかったり...
ネット通販はについてはこちらに情報まとめました

2017年8月15日火曜日

東京、ハイチ、アメリカ、ペルー

久しぶりの投稿です。

1年半も空いてますね...
この間たくさんのことがありましたが、すごく簡単に書くと、けっこう色々うまく行っています。


さて。
2つ、演奏のお知らせがあります。

ひとつは8/22、阿佐ヶ谷で。
もうすぐですね。

リーダーバンドYalaqweとアメリカから来日中のパーカッショニストZeke Nealy氏とで一緒に演奏します。
彼はアメリカ生まれなのですが、長年アフロ・ヘイシャンのドラムを叩いている人です。見ての通り、かっこいいですね...

ハイチは奴隷貿易の中継地だったこともあり、少し習った限りでは、ハイチのアフロの音楽はアフリカ(主にナイジェリアやコンゴのようです)と中南米のアフロ音楽を繋ぐミッシングピースのような印象を受けます。
そもそもナイジェリアやコンゴのドラミングがよく分からないので、ほとんど印象だけですが...

書き始めるとぐちゃぐちゃになりそうでやめますが、ハイチの太鼓の叩き方には、西アフリカやプエルトリコや(アフロ)ペルーやキューバやなんかのドラミングに少しずつ似たところがある、ということです。

Yalaqweでは、ジャズの曲とアフロリズムを構造的なアプローチで再ブレンドするということをテーマのひとつにしてきました。
構造的なアプローチで、というのはけっこう明確な意味なので、アフロブルーのメロディーを6/8の上で引き伸ばして演奏するとか、チュニジアの夜の途中でちょっと6/8クラーベを鳴らしてみるということではないです。
(どちらも別に悪いことだとは言ってないです。ただ前者はリズム構造としてはむしろドラムンベース的、もしくはLonely Woman的だと思いますし、後者は...カレー粉的エキゾチシズム?ですかね。念のため、中華料理やソーセージのカレー味は大好きです。)
再ブレンドする、というのは、そもそもけっこうな数のスイングの曲は2-3クラーベにガッチリ乗ってたりするので、それはそれですでに思いっきりアフロリズムか、少なくともアフロリズムの子孫ですよね。今さら書くなよというぐらいの当たり前の話ですがまたまた念のため...

そんなこんなで、恥ずかしながら大きな話をすると、アメリカとアフリカのリズムを繋げ直すみたいなことをやりたいんですが、そこにZekeさんを迎えて色んなヒントをもらいたい!というのが今回のセッションの意図です。
迎え撃つYalaqweのメンバーたちからどんな音が飛び出すのかも気になるところ。
先日Zekeさんとの打ち合わせでは色々と面白い曲が出てきたので、どれを演奏するかは未定ですがめちゃくちゃ楽しみです。
(そしてまずリハーサルが楽しみです...)

8/22(火) 阿佐ヶ谷 Gamuso
AMERICA - AFRICA: Zeke Nealy with Yalaqwe
20:00 オープン / 20:30 演奏
チャージ¥2,500
Zeke Nealy(per, vo) 池宮ユンタ(per) 高井汐人(ts) 関根恒太朗(as) ヤマトヤスオ(wb)

会場は阿佐ヶ谷のインターナショナルバーGamuso。
スタンディングでスペースにも余裕がありそうなので、予約不要です。

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もうひとつのライブは9/9に下北沢でやる、イルマ・オスノのソロアルバム『TAKI Ayacucho』の発売記念ライブです。

アルバムは先月発売されていますので、ネット通販や、ワールドミュージックのコーナーがある大きめのレコード屋さんで買えます。
僕は1曲だけ参加してます。
 http://www.ahora-tyo.com/detail/item.php?iid=16701

ペルーのアヤクーチョの歌です。

もともとかなり前に彼女の前作『アヤクーチョの雨』をタワレコで試聴して衝撃を受けて、すぐに買って帰って、そのあとライブに足を運んだんですが、そのときには少し話をしただけで、まさかレコーディングに呼んでもらえるとは思っていませんでした。
録音したのは去年の夏だったと思います。長い時間をかけて制作していました。

どんな音楽かは説明が難しいのでぜひ聴いてみてくださいとしか言えないです。
強いて言うなら、古い感情が残っている音楽だと思います。
(はじめて彼女の歌を聴いたとき、僕はフィンランドのヨイクを思い出しました。)

奇しくもYalaqweと同じく、このアルバム&レコ発ライブにはコード楽器が出てきません。
ライブの編成は歌、チューバ、バイオリン、パーカッションだそうです。
自分の解釈ですが、もしかしたらここらへんも、上記の「古い感情」のカギになるのかもしれません。

9/9(土) 下北沢 Com.Cafe 音倉
イルマ・オスノ ソロアルバム『TAKI』発売記念ライヴ
18:30 開場 / 19:00 開演
前売¥4,000 / 当日¥4,500
Irma Osno(voz) Daysuke Takaoka(tuba) Kunihito Urushihata(vln) Yunta Ikemiya(per)

こちらは席に限りがあるので、早めに予約いただいたほうが確実かと思います。

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ぜひぜひ来てください!

2016年2月24日水曜日

口太鼓のことなど

最近読んだ森田真生という人の『数学する身体』という本がなかなか面白かったです。

後半のチューリングの話(1948年にニューラルネットワークによる機械学習みたいな構想に言及してたとか恐ろしい逸話がたくさん)、岡潔の話もなかなかですが、前半駆け足で語られる近代以前の数学史のところが非常に面白かったです。
体を使った数の数え方、10進法の非効率と必然性、数字のできるまで、物理世界と直観から離れた数学世界の形成にどれほどの長いプロセスがあったか...

いま日頃当たり前に使う記号や道具、メディアがなかったとき、人の認識のあり方がどれほど異なるものになるかについて想像させられる本が好きです。
そういう想像にはいくつかの経路があると思います。歴史をたどること、異文化をまなぶこと、子供を観察すること、動物を観察することなどなど。言語学とかもそうですね。
小説以外の本を読むときは、ガッツがある限りはそういう本を読むことにしてます。
そういう本って、たくさんあると思いますが、マクルーハンとか、レヴィ・ストロースとか、白川静とか、そういう人たちの本です。歴史書とか。
(で、ガッツがないときはとりあえずニュース雑誌とか時事評論とかゴルゴ13とかを読みます。さらにガッツのないときはFacebookやネットのニュースを見てますね...ほとんどのときはまったくガッツがありません...)

『数学する身体』の話に戻ると、音読しかなかった時代の話(色々なところで言われることですが)とか、体や物を使った計算のこととか出てきます。

物を使って数を数えるというと、小学生の頃に読んだ『漫画人物日本の歴史』の空海の巻を思い出します。空海が岩穴に籠ってお経を唱えてると大日如来が見えるんですけど、そういうときは数珠をたぐってお経の回数を数えてるんですよね。
たしか上のケタを数えられる(?)特別なタマも付いてるんでしたっけ?あの色の違うやつがそうかな?

数珠を使ってる数を数えてると、それは身体的行為なのは誰にも見えるしもちろん自覚もできるんですが、そもそも人が純粋に「頭の中だけで」やっていることって、どのくらいあるものでしょうか?
正確にこういう表現ではないですが、『数学する身体』にはこういう問いかけを誘う箇所がたくさんあります。

話飛びます...

太鼓のメロディーはしばしば「口太鼓」で唱えられます。
口太鼓で伝えられ、口太鼓で思い出し、口太鼓と共に、というより口太鼓「で」叩くので、叩いているときはけっこうみんな口が動きます。
ギニアの人から、わざと口を動かさないというコツも聞いたことがありますが、そんなことまで考えるくらい、放っておけば口は動きます。

えーと、ここからが今回書きたかったことなんですけど。

言えないものは叩けない(めちゃくちゃに叩けても、2度同じフレーズが叩けることはないと思います)し、他人の速いフレーズも、言えないものは聴き取れません。
そして基本的には言ってるそのままの感じの音色が出ます。が、これはなかなか分かりにくいです。
上手い人の口太鼓とその人の太鼓の音は、音としては必ずしも「似てない」からです。
「トン・トン・トン・トン・パン・パン・パン・パン!」という冴え渡る音色を出す人が、これを「ジギジギジャガジャガ」とか言ったりします。
「?!!」
でも実はその人の体は「そのように」太鼓を鳴らしてます。

その人にとってベストな口太鼓の「言い方」は、主に2つのロジックからかなり必然的に決まっていると思います。

1つは、速く言えることです。
上手い人が誰も「トトパパトトパパ」などと言わず、たとえば「ビディパタビディパタ」とか「ピリパラピリパラ」とか言ったりするのはそのためです。
これはダブルタンギングと全く同じ発想です。
ちなみに、単純に速く言えるということの他に、数珠と同じく触知的な数えやすさもメリットになるのかなと思います。触れるからこれとこれが区別できて数えれる、ということです。
ダブルタンギングができてはじめて舌は2を触れるようになります。

とりあえず、言えないものは叩けないし、言えないと聴き取れないので、初心者の人でここでつまずいてる人は多いなーと思います。
まずは先生の真似すればいいだけなんですけどね。

もう1つは、発音するのになるべく口周りの緊張が必要ない音がいいということです。
舌とか喉とか。口の中とか。の筋肉。
意識してみるとすぐわかりますが、「ト」とか「パ」とか言うのはかなり筋肉使います。
口太鼓が緊張を伴うものだと、その緊張は太鼓を叩くたびに自動的に呼び起こされてしまって、口周りが緊張し、首やら腕やら手やら色んなところも一緒に緊張します。

なのでだいたいは、それをなるべく減らそうとします。
口太鼓は、その人が影響を受けた先人の口太鼓を取り入れながら、その人の体が一番いい状態で太鼓を鳴らせる「言い方」にまで自然に練磨されていくのだと思います。
口太鼓にはその人の身の入れ方・脱力の仕方が畳み込まれてるといってもいいんじゃないでしょうか。
言ってる音がそのまま出る、と書いたのはそういうことです。

ていうか、叩かなくても、言わなくても、イメージするだけで口や喉の筋肉はわずかに緊張しますよね。太鼓のメロディを純粋に意識の上だけでイメージすることは難しいです。
高橋悠治さんの本にも何やらそういったことが書いてあった気がします。
古代インドでは心は喉にあると考えられていた...だっけ?そんなことも。

素手で(広義の)トーキングドラムを叩いていると、じっさい喉に心があるような気持ちもするし、手が喋るような気持ちもします。

これがやめられない理由かなー。

2016年1月9日土曜日

2016年もよろしくお願いします!

いま鹿児島空港で東京行きの待ち時間です。

第二子誕生に伴い、ここのところ2ヶ月ほど音楽活動のペースを落としていましたが、そろそろエンジンを戻そうかなというところです。

楽器に触れる時間・環境が確保しづらい時期というのは、まあいいことはあんまりないんですが、楽器を使わない練習、音を出さないでもできる訓練などなど、なんとかして工夫しようとするので発見は多いような気もします。
(もしや発見などせず演奏しまくるほうがいいのではないかという話もありますが...)

本番がない期間は、いったんフォームを変えてしまうような余裕もあるので、太鼓の鳴らし方をいろいろ試してみることもできたり。

後半ぜんぜんブログ書いてなかったですが、2015年はとても充実した年でした。


バンド活動はいろいろやってますが、特にSepteto Bunga TropisとJAZZ KLAXONの2本柱は継続的にライブを続けて行けていて、いい感じです。



ダンスのために叩くことも、アフリカンダンスのクラスやボンバのセッションを通じて続けられています。


ずいぶん遅いペースですが西アフリカのリズムを学び続けて、ジャズやラテンの真似事をしてみて、ボンバのリズムに触れて、ハイチのドラムを少し習ってみたりして...
リズムの骨組みが、やっとおぼろげに見えてきたような気もします。
(大きな意味でのクラーベというものなんだと思いますが...)

でも大事なところは、共通原理のところだけじゃなくそれぞれの違いにあったりもするので、とにかくやってみるしかないなという感じです。

それから、夏から始めたリズムワークショップは、思いがけずたくさんの方に参加いただいて、いい調子でやらせてもらってます。
人と人の間で起こることについて、知らないことがまだまだありますね...
これも今年の楽しみです。


そんなこんなで、2016年もよろしくお願いします!

2015年7月7日火曜日

リズムワークショップ

このウェブサイトにも少し前から掲載してますが、リズムワークショップというものを始めました。
パーカッションのレッスンではなく、ドラムサークルでもなく、リズムトレーニングというようなものでもなく、微妙...いや絶妙な内容のワークショップになっております。

告知的な説明はこちらのページに載せてます。

第一回は10名ほどの方に参加いただきました。
ほとんどの方が打楽器未経験でしたが非常に盛り上がり、
「あと2時間はいける」
「頭がグルグルになった」
「大音響の中でもα波全開」
などの感想をいただきました。
これだけ見ると、若干カルト的な要素があるんじゃないか?という気もする...たぶん大丈夫です(笑)。

内容は誰でも楽しめるように考えましたが、テーマとしては、これまでの自分の演奏体験の中で大事だと思ったことをたくさん盛り込んでます。

書きたいようにバーッと書いてしまうと、ざっとこんな事柄です。
・インターロッキング(噛み合わせ)や対話形式(コール&レスポンスなど)に代表される共同主観的なリズム形成と、分担の難しさ/面白さ(ひとのことも意識しつつ、ちゃんと自分の持ち場を守ること)
・と、その基盤となるパルスのソリッドさ(タテ線が合うこと)と柔軟さ(誰もコケないようにすること)の感得
・クラーベに代表されるリズム上の地形の導入と、その上での遊び方
・最終的に頭がグルグルになること

「頭がグルグル」については、そもそも集団で大きな音を出してループするので、わりと簡単にトランスにはなると思うんですけど、ユニゾン的な、もっと言えば全体主義的なトランスにはならないようにというところをすごく大事に考えてます。
違うパターンが噛み合わさってひとつのリズムになるのは、アフロリズムのひとつ大きな特徴かと思います。そこらへんに鍵があるかなと思ってます。

と、ごちゃごちゃ書いてしまいましたが、次回のリズムワークショップは7月28日(火)19:15から新高円寺South Sound Studioです。
グルグルになりたい方のご参加、お待ちしています!